2012年10月10日

今年引退のプロ野球選手たち



 今年も多くのプロ野球選手が引退するけれども、特に今回は「ひとつの時代」が去っていくような気がしてならないほどに、名プレイヤーの引退報道が目立っている。

 
金本知憲、石井琢朗、小久保裕紀、今岡誠、田口壮……、北川博敏、英智、平尾博嗣、福地、小笠原孝、宮出、山村、佐藤友亮…………。


 とりあえず名前を挙げただけでも、少し前の新聞紙面をにぎわしていたころのことを思い出させてくれる。僕がプロ野球を本格的に見はじめたのが、
2000年前後だったから、ちょうど彼らが野球界の中心になりつつあるときであった
 だから、例えば金本であれば、今でこそ阪神のイメージが強いけれど、広島で4番を打っていた記憶も濃いし、石井琢朗の横浜時代、今岡の阪神時代も同じだ。小久保が一瞬だけ巨人にいたのも、そう遠くないことのように思える。そう思えば、ある種の時代の流れを感じてしまうし、自分も確実に年を重ねていることを実感させられる。



 
 
僕自身、以前野球をやっていて、また故郷の宮崎が主要なキャンプ地であることから、プロ野球との縁がまったく薄いわけではなかった。上記の北川が代打サヨナラ満塁ホームランで近鉄が優勝した2001年には、宮崎の日向市でのキャンプへ行った。中村紀洋やローズがいて、大塚や前川といった投手もいた。小学4年生くらいだったけれど、自分よりも倍近い背丈のある選手たちにサインを求め集っていたのを思い出す。2003年には、福岡ドームで阪神対ダイエーの日本シリーズを観に行った。井川、斉藤と20勝投手を要する両チームの攻防は第7試合までもつれ、結局ダイエーが逆転で日本一になった。当時の僕は今岡の大ファンで、阪神を応援をしていたのを覚えている。その熱狂からか、父親の友人である新聞記者の人に、今岡と井川、桧山の「名前入り」サインを頼み、今でも実家の僕の部屋で「宝物」として眠っている。


 思い起こせばキリがない、そんなプロ野球と自身の記憶。ここ数ヶ月の報道を見ていると、親しんだ名前の人たちが次から次へと出てくるものだから、こみ上げてくるものが多い。


 
 
お疲れ様でした。

posted by itta at 01:51| Comment(1) | 社会のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月08日

【久しぶりの更新】ロシア横断の旅

 久しぶりの更新になりましたが、夏休みにロシアへ行ってきたので、その報告を少しさせていただければと思います。ウラジオストクからモスクワまで、いわゆる「シベリア鉄道」というのを利用した旅で、のべ3週間ほどの間、ロシアに滞在していたのでした。
 実は、今回のモスクワへの道はずいぶんと長いものでした。というのは、ウラジオストクから途中下車の旅を2週間以上かけて敢行していったからでした。ウラジオストクに東京から飛行機で到着した後、ハバロフスク、イルクーツク、クラスノヤルスク、ノボシビルスク、オムスク、ウファ、カザン、そしてモスクワへと列車で渡っていったのでした(ただしウファからカザンだけは夜行バスを利用しました)。

 基本的には3等席(部屋区切りではなく、解放された寝台席。寝ているわきを人が通ったり、夜な夜な赤ちゃんが大泣きして車両全体に響いたりと、まあ一番安いやつです笑)を利用し、ときには新幹線のような座席に半日以上座りっぱなし、というときもありました。街に降りて観光するのとは、良くも悪くもずいぶんと異なった旅の面白さを実感させられた次第でした。


 車両の中では、たくさんの人たちに「お世話」になりました。日本から一人で旅をしているんだ、と言うと、「おもしろい」「変わってる」「危ない」「親は絶対心配してる」とまあ、あらゆる感想をいただく。列車の中には、短くても半日、平均して20時間前後、長いときには60時間ほど缶詰になることもあったので、ひたすら話すしかありませんでした。ですので、次に降りる街についてのオススメをうかがったり、ロシアや日本のこと、ありとあらゆるジャンルにまたがった会話をしたりすることになったのでした。ロシア人だけでなく、出稼ぎに来ていたウズベキスタン人の人たちと接する機会もあり、数えただけでも、20人以上の人と長々とお喋りしていった記憶があります。

 今もこうやって、あの旅のことを振り返ると、ありとあらゆる光景がよみがえってきますが、いまだにすべての事がらを消化するにはいたっておりません。1冊の分厚い手帳の紙面が尽きてしまうほどに、旅の記録を残してはいるのですが、実際に文章化したり、なにか気の利いた意味づけをなしたりするのには、時間をおく必要があるように思っています。ですので、ときおり旅の断片的な回想を残していこうと考えております。


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2012年07月16日

中学の同級生との再会

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 中学時代の同級生と会うのは、かれこれ上京する前の18歳のころ以来だった。実に4年ぶり近くであった。昨晩再会した彼は、小学校時代からの同級生で、所属していた野球部の同期でもあった。



 僕にとっての中学時代というのは、ずいぶんと楽しい思い出が多い。部活禁止で勉強漬けだった高校時代とはまったく異なり、毎日部活にあけくれ、やれ体育祭だ、やれ合唱コンクールだ云々と、いわゆる「青春」の色が濃かった。地元の公立中学校だったけれど、子どもから大人へと変わっていく思春期の出来事は、淡く鮮明な記憶とともに、これまでの人生の中でも異質な匂いをはなっている。

 先日、
facebookにて、懐かしい名前から「友達申請」があり、そのまま近況を聞いてみると、どうやら同じ沿線に住んでいることが判明し、そのまま飲む約束を交わした。


彼は、工業高校を卒業してから在京メーカーで技術屋として働いている。小学校のころから野球をやっており、甲子園出場経験のある高校で、ショートのレギュラーを務めていた。今でも社会人リーグで野球を続けているという。

 実際に会うと、いかにもスポーツ・マンな引き締まった体に焼けた肌が懐かしかった。大人びてはいたが、にっこりと笑んだ表情には変わらぬ人柄の良さが残っていた。


 

 お互い東京生活を経ているにも関わらず、会えば“ネイティヴ・宮崎弁”が漏れてしまっていた。最近どうだ、とかこれまでの
4年分の近況を話した後、話は自然と思い出話へと流れていった。


 野球部時代のこと――あのときの試合が〜、あのヒットが〜、あのときの対戦相手が高校ではチームメイトで〜――とかなり詳細に語り、中学の学校生活についても、話題は尽きなかった。他の同級生が今はどうなっているか――どの大学にいるか、どこで働いているか、あの先生は今……、誰が結婚したか!――そんな情報交換もなされた。

 記憶と人との関係というのは面白いもので、普段はまったく話題に上らない中学時代の話がアレヨアレヨと飛び出してくる。人間の脳の記憶装置はずいぶんと広いものだと思ったし、その記憶を引き出す「ひと」という要素は「匂い」に並んで大きいものだと感じた。




 気付けば終電まで飲んでいた。
 地元の人間との交流を怠っていた大学生活の終わりに、こういう回顧的な感慨を覚えることに、妙に新鮮な気分になった。変化の少ない実家の山や海を見て感じる自身の原点とは異り、移ろいやすい「にんげん」を通じた原点を知らしめられたからだろうか。自分自身について、どこか違った角度から考えさせられたひと時だった。




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posted by itta at 01:58| Comment(0) | ひとのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月07日

降雹のひととき

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 ひと月くらい前のことだと記憶している。東京では、数日のあいだ異常気象が続いており、降雹への注意が喚起されていたほどだった。




 ちょうどお昼を過ぎたころ、僕はアパートを出て駅へと向かって歩いていた。五月にしては、ずいぶんと湿った生ぬるい空気で、いまにも雨が降りそうだった。



だいたい20分くらいかかる道のりも半分を過ぎたころだった。一瞬上空の鳥がフンを落としてきたのかと思ったくらいに、目の前で大粒の水が垂直に落下した。とたん、音を立ててどしゃ降りになった。




 雨くらいでは大して驚かないが、それだけではなかったのだ。冷静に傘をかざし歩みを止めずにいると、歩いていた狭い路地を突風が駆けめぐり、縦に落ちていた雨が直角に曲がり、僕の顔に正面からぶつかってきた。もう傘なんてさせる状況にはなく、びしょ濡れになりながら近くの酒屋さんに逃げた。



 酒屋の主人であるおじいさんや同じように雨宿りに来た人と「いやあ、ひどいですねえ」とか言いながら、滝のように降りしきる雨を眺めていた。酒屋さんから道路を挟んだ向かい側には、女の人が3人ほど傘をさしてじっと耐えていたが、雨量の非尋常さを察してか、こちら側に走ってきた。




 ちょうどそのとき、ザアーという音から、バラバラッという打撃音に変わった。雹だった。滝のような雨粒がそのまま凍って、地上を打ちつけているような、そんな感じだった。一向に止む気配はなく、さらに近くで落雷までしてきたものだから、避難してきた女性たちの表情にはある種の恐怖さえかげっていた。



 そんな雹が勢いを増す中、酒屋のおじいさんが何を思ったのか、籠を外に投げ出した。面白いことに、籠の中は見る見るうちに白い雹でいっぱいになり、天候の荒々しさとは対照的な美しささえあった。そして、おじいさんが言った。




「これで、ウイスキーのロックは飲めんかねえ〜」




 まさかこんな「のん気な」言葉が出てくるとは思っておらず、思わずニヤリとしてしまったが、それは周りの女性たちも一緒だったようだ。完全に怖がっていた表情たちは和らいでいたようだったし、予定の時間や交通情況を不安に思っていた僕も、すっかりほころんでしまった。




 目の前の脅威に対して、柔らかなユーモアを持ってくる余裕は、年の功からだろうか、それともおじいさんの人柄だろうか……。そんなことを考えているうちに、雹もすっかり止んで、憎たらしいくらいに鮮やかな青空がのぞき始めていた。

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posted by itta at 23:33| Comment(0) | 日常のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月15日

サッカーからみえる国家――EURO2012をみて――




 最近はずいぶんと生活リズムが狂っております……。そうです、夜な夜なサッカーEURO2012を見ているのです。今年はウクライナとポーランドが共同で開催しており、これら開催国のほかにロシア、クロアチアなど東欧の国々が参加しています。

 スペイン、ドイツなど世界トップクラスのゲームを楽しんでいるのはもちろんですが、少し気になることがあります。それは、特に中東欧諸国のサポーターが、試合の外で暴動を起こすなど、かなり“荒れて”いることです。例えば、以下のようなことが記事に上がっています。

ポーランド対ロシア戦前に大規模な暴動、100以上逮捕/ユーロ2012

 ユーロ2012のグループA、開催国ポーランド対ロシアが12日行われた。11の引き分けに終わったが、競技場のあるポーランドの首都ワルシャワで試合前、ポーランドサポーターとロシアサポーターの間で大きな衝突があった。イギリス紙『ガーディアン』が詳報を伝えている。

 試合が行われた612日は1990年にロシア連邦が成立した記念として「ロシアの日」となっている。それに合わせワルシャワ市内を行進していたロシアのサポーター数千人とポーランドサポーターの間で衝突が発生し、みるみるうちに騒動は広がっていった。約6000人の警官が監視していたとされるが暴動を止められなかった。少なくとも120人が逮捕され11人が病院に運ばれたとみられている。

 両国は隣国関係にあり長い間対立してきた。第二次世界大戦後は約40年間にわたりロシアがポーランドを支配していた歴史もある。

 ロシアは8日のユーロの初戦、対チェコ戦でサポーターが試合中、チェコ代表選手に対し人種差別のチャントを歌ったこととスタンドでの禁止行為があったとしてUEFA(欧州サッカー連盟)に処分を検討していると通達されたばかりだった。


チェコ、ポーランドに対して煽っているのはロシア側のサポーターではありますが、いずれにせよスポーツとは別の「問題」が起こっているのは確かです。

 なにもこれらの国だけが、「いわくつき」というわけでもないと思います。サッカーの試合の結果が原因で起こった
エルサルバドル・ホンジュラス戦争がもっとも顕著な例ではないでしょうか。もっと近い例を挙げれば、日韓戦が異常な緊迫感に包まれていることも、それに相当するのではないかと思っております。

 サッカーの試合を通じて、その国同士の関係がにじみ出てくることがあるのであれば、依然、ロシアと東欧諸国(今回はポーランド)との「溝」というのが存在するということになります。

 もっとも、一部の過激なサポーターが勝手に起こしているという点に留意しなければ、他の諸国民たちに失礼になります。それでも、いまだに、このような「溝」に反応する人たちが“存在している”という点もまた、現実として考えるべきものだと思います。



 ここ数日の報道から、ふとそんなことを思ってみたのでした。

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